Apple Watchを使うことの意味(後編)

前回のエントリーではAppleWatchの個別具体的な機能について、自分が便利に使っているものを中心に紹介した。

今回はそこから先の話。
日常的にAppleWatchを身につけるようになって何が変わったか。

良い腕時計を着けることによって見栄を張るという概念から抜け出したことが一番大きい。

男性の場合、高級腕時計を着けることでシグナリングを発する部分がある。
時刻を確認するという本来の機能は、今や格安で実現できるのに、数10万円からときに100万円近い金額の対価を払ってなぜわざわざ腕時計を買うのか。
それは当然他者へのシグナリングなりマウンティングを意識、無意識に関わらず意図している。
いや、むしろほとんどの人が無意識では。
本人はただ時計がカッコイイと思って買っているわけだけど、実際の心理としては、そういう高額なものを買える財力を持っている俺カッコイイ、なのだ。

いやいや、俺は値段だけじゃなくてセンスが良い時計がいいんだよ、という人もいるだろうけど、同じこと。

財力にプラスしてそういうセンスがあることをシグナリングしているわけだ。

AppleWatchを着けるとこれらのシグナリング合戦から抜け出すことができる。
数十万、ときには100万円近い金額のシグナリングの螺旋から降りるというのは、一度ハマった人には難しいのだ。
ところがわずか4万円で抜け出せる。
そして、私はそういう見せびらかし合いには興味ないんですよ、というシグナリングになる。

もう一つの効果として、もう時計選びに迷うことがなくなる。
シグナリングの話だけであれば、他のスマートウォッチでもいいだろう。機能的にも優れたものもある。
だが、それを選んだ労力、時間はどうだろか?
ハッキリ言ってしまえば、AppleWatchもその他のスマートウォッチも価格帯が同じなら機能に大した差はない。

だが、それらのスマートウォッチは常にAppleWatchをベンチマークとして商品化されているし、買う側もAppleWatchと比較してしまう。

AppleWatchに決めてしまえば、もう時計選びに迷うことがなくなる。
今後一切なくなるとは思っていないが、少なくとも数年間はAppleのポジションは崩れないだろう。

そして、そのパッと見のデザイン性のなさ。
ただの黒い飴玉みたいな四角形にベルトがついてるだけ。
これが良いのだ。
これによってほとんどあらゆるシーンで着けていられる。
スーツ、カジュアル、スポーツウェアのどれを着ても邪魔にならない。
あのシリコンっぽいバンドはスーツに合わないだろうという指摘はもっともだ。
だが、ちょっと検索するとバンドが山程見つかる。
その中で汎用性の高いものを選べばいい。

お勧めはステンレスメッシュ素材。
今のところこれが一番汎用性が高い。

これで腕時計見せつけ合戦から抜け出し、今後選択に悩まされることもなく、あらゆる場面でこれ一本で過ごせる。

AppleWatchを身に着けることによって、こんなことを感じた。