ミニマリストに感じる矛盾
最近ネットでミニマリストを名乗る人をたびたび見かける。
できるだけ物を持たないライフスタイルを実践している人たちだと理解している。
Weblio辞典による定義は以下の通り。
ミニマリスト 「最小限」(ミニマル)を主義とする人、という意味の語。 一般的には、余計な者を一切持たずに必要最低限度の持ち物だけ身の回りに置いて生活する人を指すことが多い。
確かになんとなく持っている物が本当は不要であることは多いし、部屋が物で溢れている状態は好ましくないのもわかる。
そもそも日本に限定してしまえば、コンビニがあるし、いろいろなレンタルサービスが充実してきているのでほとんど物を持たなくても生活できるとも言える。
自分に関して言うと、余計な物はできるだけ持たないようにしているがミニマル(最小限)というわけではないし、目指しているわけでもない。
例えばテレビ。テレビを観る時間はどんどん短くなっている傾向にあるし、自分自身ほぼゼロだ。もう10年以上前に捨ててしまったがなんの不便もない。
例えば物理的な本。今は電子書籍があるので、物理的な本を買う本質的な意味はない。本のほうが読みやすいとか、あとから何度も見返すものなどは物理的な本を買う人もいるが、嗜好の範囲の話であって情報を読むという本質的な意味においてもはや物理的な本を手元に置いておく意味はない。
ただ、ミニマリストを自ら名乗る人たちの多くに感じる矛盾がある。
それはやたら物を勧めてくる点だ。
物を持たないライフスタイルを勧めているのに物を買うのを勧めるって矛盾してませんか。
更に、その紹介している物がいかに優れているか熱心に説明してくれるのだけど、それって物に執着してませんか。
持っている物の数は減ったけど、その分一つの物に対する執着が凝縮されている感じだ。
しかも、その物にたどり着くまでの過程で似たような物を買って試してを繰り返してませんか。
なんなら常に次の買って試したい物がリストアップされていて、それって物欲と何が違うんだろう、と疑問に感じる。
断捨離の
- 断:入ってくるいらない物を断つ。
- 捨:家にずっとあるいらない物を捨てる。
- 離:物への執着から離れる。
という定義からすると最後の「離」が実践できていない。
身も心も身軽になって快適なライフスタイルを手に入れたい。